un forajido
2009 年 7 月 2 日
チリの写真家、 フリオ・ガルシアがその生涯最後の3日に見たもの、撮ったもの。
エクアドルで汚職を働き、亡命中の元大統領、アブダラ・ブカランに対する最高裁の判決を大統領権限で無効とし、彼の帰国を可能としたことに腹を立てた国民(そしていくつかの自治体)が、現行政府に反意を表明しているところからスライドは始まる。次第にその数は増し、警察の対応は無用に肥大化し、二日目には催涙弾で街は覆いつくされていた。その夜、当時の大統領、ルシオ・グティエレスは非常事態宣言を出すとともに、デモに参加した者たちを”Forajidos”(ならず者)と呼び非難。次の朝、数々の市民が「私はねずみ(汚職をする政治家・企業)がこの国からいなくなるまで、”ならず者でいる”」「私はならず者、あなたは?」などというプラカードを掲げる人が増え、ラジオ局までが「ならず者の土地、キト市がんばれ!」と看板を掲げているのが見える。
夜になり警察、軍隊との攻防は激しさを増し、それでも人々の写真を撮り続けたフリオ・ガルシアは、催涙弾を吸い込みすぎて呼吸困難に陥り、次の日病院で息を引き取った。
彼が亡くなった次の日、なぜか中立の立場としての救急本部長に任命されてしまった僕が、催涙弾で息ができなくなり苦しんでいたところ、まず警察庁長官が辞任し、軍隊が大統領の命に添わない決定を下したことから、大統領はヘリコプターで官邸を脱出。午後3時ごろ今度は歓喜する市民によって広場は埋め尽くされた。
残念ながらその写真はここにはない。
彼への追憶のために作った曲を、フリオの最後の仕事に乗せてみた。
<追記>
最後の場面で子供に水をかけ、燃えた紙を近づけているのは、虐待ではないのです。催涙ガスへの一番有効な対処法は、物を燃やしていることです。もしもそのような場所を車で突破しなければいけないことがあったら(僕は何度もありました)、喫煙者も非喫煙者も車の窓を閉めてタバコをふかし続けることをお勧めします。
水はケースバイケースです。
あまりにも大量のガスを皮膚に受けてしまった場合は、かえってやけどのような症状を起こしてしまうこともあります。軽度の場合は少し楽になったような気もします。
ピアソラ x 現代詩 x 中国茶
2009 年 6 月 29 日
The Flying Black Monkeys vol.1 – Tribute to Astor Piazzolla
2009年7月20日(祝)
@ 中国茶芸館Blue-T – 下高井戸
The Flying Black Monkeys (さまよえる黒い猿)
- 梅澤敦子(フルート)
- 五十嵐あさか(チェロ)
- 石原鼓緒太(ピアノ)
- 前田ただし(バイオリン)
ゲスト
- nanomi(現代詩朗読)
- DJ matsumoto
■Open:18:00/Start:19:00
■Charge:¥3,000(1 drink + 豪華ビュッフェ付き)
「さまよえる黒い猿」は古代文明発生以前から世界中を駆け巡り、古今東西のアートフォームを採集しては麻の袋に放り込み、時々思い出したようにシャッフルしては時系列的にも空間的にもまったく関係のないアートフォームをマッシュアップし、それを川で洗って食べるといわれている伝説の生き物。
最近では、ススキノのいかがわしい店の裏で「南画」「構造主義」「アルベルティ・バス」をマッシュアップしているのを見たという人がいるが、真偽のほどは定かではない。
今回は「アストル・ピアソラ」「日本現代詩」「中国茶」を毅然とした態度でマッシュアップ。
中国茶芸館Blue-T
東京都世田谷区松原3-42-2 丸シビル3F
03-3325-8981
http://www.blue-t.jp/
限定40名・先着予約優先
予約はコンタクトのページからどうぞ。
(7月20日のライブの件とご明記ください。)
ダンスフロアの血
2009 年 6 月 27 日
学生生活に終止符を打ち、社会人として、職業音楽家として生活を始めた場所が、僕の場合はスウェーデンのストックホルムだった。(多くのスウェーデン人、竹原美歌ちゃんなんかもそうなのだけども・・・)彼の地が持っている独特の雰囲気、文化、そして何よりも冬になるにつれて日照時間が激減していく気候が、毎日の生活が自分のキャリアの前進に役立っているのかどうか見当もつかない僕の気持ちを、まったく応援してくれているようには感じられなかった。
そんな中、僕を確実に救い勇気付けてくれた2枚のCD。
Boulez conducts Webern II
Blood on the Dance Floor: History in the Mix
今になって思うと、前者はドイツ器楽音楽がたどりついた音。後者は米国20世紀音楽がたどりついた音。このように断言してしまってもかまわないような気がする。(追記:今まで気づかなかったけども、収録曲の約半数が過去の曲の編曲 / リミックスであるという点でも、ジャンルをかけ離れたこの二つのCDは共通している。非常に暗示的。)もちろん続きはあるのだろうだけども、次のチャプターが来るべく今のチャプターのドアが閉じられる気配すらない。
しかし、今日ショッピングモールなどという口にするのも恥ずかしくなるような場所で、数々のマイケル・ジャクソンの追憶商品が並べられているのを見て、20世紀が確実に終わったことを知った。(冥福を祈って商品を売っている場合じゃないんだ!伝説はもう作られないのだ) それにしても彼は何を考えていたのだろう?21世紀は何にも準備ができていないというのに・・・。
アップデートを毎日
2009 年 6 月 26 日
このところ、物を作り続けている。
人との約束がない日の前の夜は、必ず「明日こそは休もう」と心に誓うのだけども、朝起きると作らなくてはいけない曲、ミックスされるべき音源、書かれるべきhtml構文がどこからともなくやってきて、何かに取り付かれたかのようにPCのモニターの前で一日の大半を過ごしている。
そんな中わかってきたこと。
僕が創作をする理由は、無から今までなかったものを作り出すことに快感を覚えるからではなくて、すでにあったものを自分が今存在する時間、場所、空気、匂い、スピードなんかに対応させるためだけで、自分が昨日とほとんど同じ存在ならば、何も作る必要はないということ。
そりゃ、締め切り前は作るけど。
依頼があれば悩むけど。
典型的な編曲家 – 演奏家タイプの作曲家だ。
ピアソラがアレンジの更新をするように。
ジスモンチがオーケストレーションを施すように。
マイルスは違った。作って使い切ったらその曲を捨てた。
今日はエクアドルの先住民の歌をアップデートしてみた。
(古い写真とともに・・・)
ブエノスアイレスの音楽
2009 年 6 月 23 日
アストル・ピアソラという人はちょっと変わったところがあって、自分の気持ちなんかの都合で曲のタイトルをころころと変えてしまったりする。90年代初期に、米国でまだそれほどたくさんの種類のピアソラのCDが出回っていなかった頃、「聞いたことのない曲だ!」などと購入してみたところ、実は(アレンジこそは違うものの)よく知っている曲だったりすることがよくあった。
実はその逆もあって、同じタイトルのまったく違う曲もある。
例えば”La Mufa”という曲。僕は最初、楽譜でこの曲の存在を知ったのだけども、後年同名の曲が収録されたCDを聴いてみたところ、まったく別のものだった。(”La Mufa 72″ というものもあるけれど、これも別物)「なんだろうな?」と思っていたら、”Luna”というピアソラが病に倒れる直前の七重奏によるライブアルバムが発売されて、この中の”Luna”という曲が、僕の記憶にあった”La Mufa”を拡張したものだった。(ただ、楽譜は見ただけだったから、比べることはできない。) そしてこの”Luna”という曲は、60年代の名曲でありながら残る音源は五重奏でのライブのものだけという”Retrato del Milton”(ミルトンの肖像)とほぼ同じ曲で、”Retrato del Milton”は当初”Retorato de mi mismo”(私自身の肖像)という題名だった。
ややこしい。
最初の結婚が破綻したときに関係を持っていた女性がピアソラノことを「マンダラゲ」と呼んでいたというだけで、65年に作曲した「十月の歌」という曲のタイトルを「マンダラゲ」に変えてしまったこともある。
そういう改題の中でも、とりわけ僕が気に入っているのが”Amelitango”の一件。ピアソラが「ブエノスアイレスのマリア」というオペリータのために準備をしていた時に、主演を勤めることになっていたエグレ・マルティンと情事を重ねていたところ、エグレの夫の知れることとなってしまい主演女優を変えざるを得なくなってしまい、そこで見つけてきたのがアメリータ・バルタール。たまたま彼女のライブを聞いていたピアソラが、男役を演じることになっていたデ・ローサに「彼女はどうだ?」と聞かれ、「きれいな足をしているな」と抜擢されたのだ。
その後「ロコへのバラード」などの爆発的なヒットを出したこのコンビは、私生活でも恋人として連れ添った。(当時、アルゼンチンでは離婚は認められていなかった。)イタリアで録音されたアルバムに含まれる”Amelitango”は、もちろん”Amelita+tango”による造語。なかなか味わい深い曲なのだけども、アメリータがピアソラのもとを去ったとき、ピアソラは”Amelitango”のタイトルを楽譜から乱暴に消し去り、”Musica de Buenos Aires”(ブエノスアイレスの音楽)と書き換えたという。
しかし、その後その曲を演奏することはほとんどなくなってしまったので、「ブエノスアイレスの音楽」という楽曲は現在流通してはいない。
曲の題名を変えては中身も少しずつ改変していったピアソラに敬意を表して、「ブエノスアイレスの音楽」を”Amelitango”をもとに作ってみた。
最近のコメント