自分の中にある偉大なものの小ささを感じることができない人は、たいてい他人の中にある小さなものの偉大さを見逃してしまう。
- 岡倉天心
フェノロサととも日本画が西洋の油絵に数等劣り、文人画の無価値なる理由を説明し、南画を衰退させてしまったことが非常に残念な岡倉天心。「存在するすべてのアートフォームに価値がある」なんていうロジックは彼の中にはなかったはずで、描くことを「余技」と言う南画家の作品が芸術とは感じられなかったのだろう。
上記の言葉にしても、当時としては当たり前だったことであるはずで「テレビで紹介される隠れた名店に行ってみる人は、たいてい近所の隠れてない名店を知らない」程度の内容なんだろうけども、英語にしてみたとき、そして長い年月がたってから眺めてみた場合それなりの奇妙な説得力を持つことになる。
彼にはこんな逸話もある。
明治36年(1903年)、天心は米国ボストン美術館からの招聘を受け、横山、菱田らの弟子を伴って渡米。羽織・袴で一行が街の中を闊歩していた際に1人の若い米国人から冷やかし半分の声をかけられた。「おまえたちは何ニーズ? チャイニーズ? ジャパニーズ? それともジャワニーズ?」。そう言われた天心は「我々は日本の紳士だ、あんたこそ何キーか? ヤンキーか? ドンキーか? モンキーか?」と流暢な英語で言い返した。
「米国人をやりこめた天心さん、マジっぱねぇっす。マジかっけーっす。リスペクトっす!」って言う人がいるけども、僕には全く理解ができない。
1. ニッコリと笑って「日本人だ」となぜ言えないのか?
2. 「ロバか?猿か?」のあたりの俗悪さはなんだ?
3. 英語としてのユーモアのセンスが高校生並じゃないか?
じゃあ、なぜこの言葉を載せたのか?
画像がカッコよかったから。
