数日前、「マーエダが数年前に書いたリベルタンゴのオーケストラ・バージョンがライブラリにあるのだけども、再演の許可をくれないか?」なんていうメールが来たものだから、「再演はいいけどもあのアレンジは恥ずかしいから書き直させて(ハート)」と返信した。曲を作ったりアレンジをしたり、おそらくプログラマーの場合もそうなのだけども、若い頃は技を知らないものだから、その収集蓄積に励む。必ずしもテクニックのひけらかしに走っているつもりはなくても、手に入れた技を使うことができるという嬉しさのあまりに、それぞれが効果を打ち消しあっていたり、場合によってはバグを生む事になる。
稚拙な作品はまだいい。そこにはまだ手付かずの香りのようなものがある。
しかし、確信を持って施された装飾は良くも悪くも匂いでしかない。
そういうわけで、学生の頃から「いつの日か手にしよう」と勉強してきたギル・エバンスやギュンター・シュラーのハーモニーも、リーブマンの半音階的メロディも、ここ数年「もう、いらないや」という気持ちになってしまっている。
その代わりに持っている信条は(こんなもの、ばらしてしまっていいのかわからないけども)、「出来る限り単純に聞こえて、出来る限り弾きにくい曲を書く」ということ。「単純に聞こえる」っていうのは非常に説明するのが難しいのだけども、例えば海の波とか冬の夜空のように、動きや構成自体はとてつもなく複雑なんだけども、細部に目をやらないで全身で感受できるような聞こえ方。「弾きにくい」というのは「難しい」という意味ではなくて、「今までやったことがない」という種類のややこしさ。弾きやすいものっていうのは、結局その曲自体もよくあるパターンだってことになるんだと思う。
でも、そんなことを真面目に実践しているのは The Flying Black Monkeys でだけであって、例えば今回のリベルタンゴのように他の楽団にアレンジを提供するときは「なるべく簡単で、難しそうに聞こえるもの」を作ってあげたりしている。
F.B.M.のメンバーがこの事実についてどのような思いを抱いているのかは、僕にはよく分からない。知りたくもない。感謝はしている。