ベネズエラの音楽状況

アレキシス・カルデナスは間違いなく中南米で最も優秀なバイオリン弾きの一人だと思う。僕がエクアドルで民族音楽のモダン化に勤しんでいた頃、彼はベネズエラでベネズエラ音楽のクラシック化に励んでいた。最近日本でも話題になった「シモン・ボリバル青少年オーケストラ」の初期の教育を受けた彼は、オーケストラプレーヤーになることを選ばなかった。想像しにくいことかもしれないけども、あの国でそういう道を選ぶっていうのには、ちょっとした勇気が必要なことだ。

このインタビューを聴いていると、日本の若い演奏家たちは伝統音楽や即興演奏というよりはポップスやロックに顔を出すようになったという違いはあるような気がするけども、だいたい同じような状況なんだなと感じた。

それではどうして管弦楽の世界に限ってみたときに、ベネズエラの方が元気があるように見えるのだろう・・・?

やっぱり、強烈に元気な大統領がいるからかもしれない。



クラシック音楽と大衆音楽の関係について

すべての作曲家は、自分のパーソナリティ – 天才性を使って、大衆的な音楽を普遍的な次元に引き上げるんだ。チャイコフスキー、ベートーベン、バッハ。すべてのバッハの音楽:無伴奏チェロ組曲、無伴奏ヴァイオリン・ソナタ / パルティータはダンスからインスピレーションを受けたもの。大衆的なダンスさ。バルトークだってそうだし、ストラビンスキーもそうだ。いくらでも名前は出せる。つまりクラシック音楽と大衆音楽が対立や矛盾を生んだことはなかったんだ。

ひとつだけ心配なのは、素晴らしいレベルの演奏家が(ベネズエラには)いるのだけども(僕もその中の一人であるわけで・・・。あっ、「素晴らしい」っていうことではなくて演奏家であるってことね)彼らはレパートリーを必要としているんだ。僕らは音のイメージが必要なんだよ。ベネズエラのピアソラはどこだ?ベートーベンは?バルトークは?ストラビンスキーは?・・・いないんだ。だから「作曲家の時代」が来るように道筋をつけなければならない。そうそう、作曲家が必要なんだ。そりゃ、レオ・ブランコとかいるのはわかってるんだけど、管弦楽の方面にポッカリと穴が開いちゃってるんだ。

創る人がいないって訳じゃないんだ。足りないのは演奏者たちとクリエーターたちのつながりなんだと想う。同じように音楽家、画家、小説家、詩人たちによる強いつながりが必要なのに、それぞればらばらに分かれて活動しているから、呼びかけあって芸術的な運動を生み出すに至ってない。その昔パリではピカソがコクトーと組んで、コクトーはストラビンスキーと組んで、みんなで芸術的な運動を作り上げていったんだ。

ベネズエラでのバイオリン教育システムについて

間違いなくベネズエラのバイオリン教育システムは「しっかりとしたシステム」だと言える。36年の歴史があって、具体的にはフランシスコ・カスティージョ先生がベネズエラの子どものオーケストラのシステムのために始めたもので、僕もその中の一人としてアントニオ・アブレウ先生からいただいた奨学金のおかげでフランシスコ・カスティージョ先生と勉強したんだ。13歳の時から毎週火曜日にマラカイボからカラカスまで通った。僕たちの国のバイオリンの教育システムは大きく前進した。その後に(ベネズエラの)アイデンティティのために活動する新しい世代がベネズエラ音楽をルネサンスのように復興させ、昔の音楽が目をさますことになる。エディ・マルカーノがフォルクローレや伝統音楽を取り上げた最初のクラシックバイオリニストだったんだと思う。めちゃくちゃに批判されてた。覚えてるけどもオーケストラのプレーヤーたちは「な、エディ。でもそれはベネズエラ音楽じゃない。」って笑ってた。僕は16歳の時から彼の横で弾いてたんだ。16歳から17歳にかけてはいつもそんな感じだった。

それで14年前にパリに留学したんだけども、それからの発展といったら・・・。たくさんのバイオリニストがオーケストラのコンサートのあとに、町で流行っている店に行ってベネズエラ音楽やブラジル音楽を弾いたり、即興していたりしているんだ。これがバイオリンだけではなくて、すべてのベネズエラ音楽が新しい時代に入ったんだと思う。


僕がコンサートでエクアドルの伝統音楽を取り上げた頃、新聞に「タダシでさえこのような古い音楽を弾かなければならないという、聴衆のレベルの低さに呆れた」なんて書かれたことがある。僕を批判する代わりに聴衆を批判していたのだ。それが今ではエクアドル音楽専門の学部が大学にできるまでになった。そのうちクオリティの高い音楽がじゃんじゃん作られるようになるのだろう。