ピアノ一台・・・

1930年に創刊した同人雑誌「言葉」の第一号の編集後記に、「最近の文学ってやつは書いているやつらがそれぞれ奇をてらっておかしなことばかりいるから、ちょっと冷静に考えるために美術や音楽の連中の言っていることにも耳を傾けて連係プレーをしたほうが得策なんじゃないかな? とりあえず次号では、世界中で最も本質的な主張を唱えていると思われる音楽家について書いてみようと思う」なんていうことがもっと格調高い文章で記されている。

これを書いたと思われる編集権発行人: 坂口安吾
選ばれた音楽家: エリック・サティ

実際には坂口安吾によるサティ論は別の雑誌に掲載されたのだけども、その中に次のような一説がある。

サティは言った。「芸術への精進(エキゼルシス)は、絶対の拒否の中に生活するように、われわれを促す」と。そして彼は、常にこの拒否の中に生活し、もっとも純粋な、そしてもっとも厳粛な音楽をつくった。そして、人を笑わせるために、そして人を笑うために、道化た題名をつけた。だから人々は苦虫の陰にある透明な彼の魂を気づかずに、いつも笑っていた。


ちなみに坂口安吾はこの文章を書く数年前に「人間のすべてを、全的に肯定しよう」と記している。サティの考え方がその対極にあると感じたのか、似たようなことだと感じたのかはわからない。おそらく非常に文学的な脈絡で共感していただけであって、音楽的な共感は抱いていなかったような気がする。この文章を何度読んでもサティの音楽の本質を捕らえている文章に思えないのだ。

せめて曲を聞き込んでみる、あるいは楽器を使って(巧くなくとも)演奏してみる、ということをしなければ特にサティの音楽の場合は理解するのは難しいだろうと思う。レコードの入手も困難で、演奏されることも少なかったサティだから、とりあえず坂口安吾がその人となりから惚れ込んだとしても、別段それはそれでかまわないのだけども・・・。

雑誌「言葉」の創刊号の編集後記の最後に「△寄付募集。ピアノ一台・・・」と記されている。ピアノは手に入ったのだろうか? サティを弾くつもりだったのだろうか?