Creo en ti



本気で、全力で仕事をすることがごくまれにある。普段は結果の質を自分の美意識が受け付ける範囲に残すよう、それはそれでエネルギーを使っているのだけども、例えばひとつの音を置くのに(あるいは除くのに)知性、そして美意識というよりは美学を動員してゆっくりと長い時間知識や経験に頼らずものを創るとき。

それは天才と仕事をしているとき。

この歌を作り、歌っているセルヒオは、間違いなく天才だと思う。言葉と音楽と行動としての歌を組み合わせることによって、ほとんど苦労することなく化学作用を起こさせ沸点に持っていくことができた。楽譜は読めない。理論も知らない。楽器も弾けない。

ひょんなことで仲良くなって、将来は彼に歌を作らせ僕がオーケストレーションを施し、オペラを作ろうと思っていた。けどもその前に彼が率いていたバンドのシンフォニック・コンサートをやろうという仕事がやってきて、僕はゲスト演奏とオーケストレーションを頼まれた。ほとんどの曲のアレンジに対して「すげー!」って感じで喜んでいたセルヒオは、なぜかこの曲のアレンジだけはOKをくれなかったのを覚えている。

「兄弟。歌詞を聞いてくれ。ちがうだろ?」

次の日家に閉じこもって、ストリングスを8部に分けたアレンジを作って「これがダメなら他のアレンジャーを使ってくれ」と手渡すと、「やればできるじゃん」と楽しそうにしていた。その次の日、どうでも良いような理由からこのコンサートはキャンセルとなり、契約どおりアレンジ料は振込まれたものの、30センチほどの楽譜の山は使われることはなかった。この絶望的に怠惰な僕が本気を出したのに、未だにそれは演奏されていないのだ。僕は今でもこれを書いていた時の部屋の匂い、日が落ちていく感覚を覚えている。

そして、僕がエクアドルを去ったあと、バンド自体も解散してしまった。

Creo en ti
[楽譜] Creo en ti

本物の音楽

今まで生きてきて、好きになった曲や感心した曲、あるいは弾いてみたいと思った曲や「もう一度聴こう」と思った曲はあったけども、「なんじゃ、こりゃー!」と衝撃を受けて数日の間その曲のことばかりを考えていたという経験は一度しかない。

しかもそれはテレビで放送されたものだった。チャールズ・ミンガスの「エピタフ – 墓碑銘」 1997年頃、ストックホルムの自宅で一人で見たのだと思う。

この衝撃的な2時間半にわたる大作は、実は意外な経緯を経て発見されている。5000枚にのぼる手描きのスコアがミンガスの死後クローゼットから見つかったのだけども、誰にもそれが何なのかが分からない。しかも4000小節に及ぶ作品は、五重奏や六重奏のために書かれたわけではなく、少なくとも30人は演奏のために必要となっている。

いったい何をミンガスは考えていたのか?

やがてこの作品はミンガスによってわざと隠されていたものであって、その曲の初演がミンガスの輝かしい音楽歴の中で最悪の結果となっていたことがわかった。1962年に行われた初演ではクラーク・テリー、ペッパー・アダムス、秋吉 敏子さんを含む33人によって行われることになっていたのだけども、曲の仕上がりが遅れ、手書きのパート譜の量も半端なく、ほとんどリハーサルに時間をとることができなかったのだ。(そして初見で演奏できるほど「普通」の曲ではない)なんとかミンガス特有のパッションで楽団をリードし演奏するも、今度はタウンホール側が「長すぎる」と怒りだし、最後を待たずにすべての電気を消されてしまった。

ミンガスの落ち込みは激しく、二度とこの作品について話すことがなかった。

1989年にガンサー・シュラーの指揮によって再演され、僕はその様子をテレビで見たわけだけども、その数ヶ月後に務めていた大学の近くのバーで、ウィスキーを手にした白髪の老人に話しかけられたのを覚えている。

「お前日本からきたバイオリン弾きだろ?この間のリサイタル聞きに行った。ところで『本物の音楽』って知ってるか?」

リサイタルに来たと言っているのに、何も感想がないのにも少し戸惑ってしまい「知らない」と答えると、「それはね、ミンガスのエピタフだ」と言って大きく頷いていた。

まあ、正しいと思う。

高松の甲村記念図書館の大島さんの言葉 2

Only people who’ve been discriminated against can really know how much it hurts. Each person feels the pain in his own way, each has his own scars. So I think I’m as concerned about fairness and justice as anybody. But what disgusts me even more are people who have no imagination. The kind T. S. Eliot calls hollow men. People who fill up that lack of imagination with heartless bits of straw, not even aware of what they’re doing. Callous people who throw a lot of empty words at you, trying to force you to do what you don’t want to. […] Gays, lesbians, straights, feminists, fascist pigs, communists, Hare Krishnas ? none of them bother me. I don’t care what banner they raise. But what I can’t stand are hollow people. When I’m with them I just can’t bear it, and wind up saying things I shouldn’t. […] I say things I shouldn’t, do things I shouldn’t do. I can’t control myself. That’s one of my weak points.

from Haruki Murakami’s Kafka on the Shore


差別されるのがどういうことなのか、それがどれくらい深く人を傷つけるのか、それは差別された人間にしかわからない。痛みというのは個別的なもので、その後には個別的な傷口が残る。だから公平さや公正さを求めるという点では、僕だって誰にもひけをとらないと思う。ただね、僕がそれよりもさらにうんざりさせられるのは、想像力を欠いた人々だ。T.S.エリオットの言う<うつろな人間たち>だ。その想像力の欠した下部分を、うつろな部分を、無感覚な藁くずでうめて塞いでいるくせに、自分ではそのことに気づかないで表を歩き回っている人間だ。そしてその無感覚さを、空疎な言葉を並べて他人に無理に押し付けようとする人間だ。(中略)ゲイだろうがレズビアンだろうが、ストレートだろうが、フェミニストだろうが、ファシストの豚だろうが、コミュニストだろうが、ハレ・クリシュナだろうと、そんなことはべつにどうだっていい。どんな旗を揚げていようが、僕には全くかまいはしない。僕が我慢できないのはそういううつろな連中なんだ。そういう人々を前にすると、僕は我慢できなくなってしまう。ついつい余計なことを口にしてしまう。(中略)言わなくてもいいことを言ってしまうし、やらなくてもいいことをやってしまう。自分が押えきれない。それが僕の弱点なんだ。

村上春樹:「海辺のカフカ」より

希望っていうのはこういうものなんだろう



ホースト・ファースは1955年、22歳の時にAP通信に入り、1960年のコンゴ動乱での取材によって報道写真家としての輝かしいキャリアをスタートさせている。スナップショットをポラロイドで撮ってあげることによってコンガの兵士たちを取り入り、決定打となる写真が撮れる正しい場所へと導いてもらっていたのだ。

パトリス・ルムンバはコンゴをベルギーからの独立させ、コンゴ共和国の初代首相となった。しかし彼の共産主義者的な傾向と、燃え上がるような独立記念日でのスピーチ ”Nous ne sommes plus vos macaques!”(私たちは、もうお前らの猿じゃない!)が問題視され、10週間後にはCIAにそそのかされたグループによるクーデターにより自宅軟禁されてしまう。

CIAの職員が毒の入った歯磨き粉を手にして家にやってきたのに気がついたルムンバは、密かに家から脱出するものの空港の飛行機から引きずり出され、再び逮捕された。彼は外交官やジャーナリストの面前で殴られ、蹴られ、辱めを受け、トラックに乗せられどこかに連れていかれた。

上の写真はその時ファースによって撮られたものであり、ルムンバの最後の写真となった。処刑された後、彼の身体は酸で溶かされ、「そのあたりの住人に殺害された」などと1ヶ月後に発表されたが、そんなことを信じるものはいなかった。(2002年2月、ベルギー政府はルムンバの暗殺にベルギー人がかかわったことを認め、更に国としての道義的責任を認め公式に謝罪を行い賠償を約束した。)

ルムンバを逮捕したジョゼフ・モブツ将軍(後のモブツ・セセ・セコ)は1997年まで大統領であり続け、欧米の言うことを聞くのかと思いきや再びクーデターを起こして国名を「コンゴ」から「ザイール」に変え、アフリカでの共産圏の拡大を防ぐ見返りに欧米からの支援金を一手に引き受けて、そのほとんどを着服した。

ルムンバが妻に当てた最後の手紙にはこう記されている。

あとにのこる息子たちに、もしかしたら二度とあえないかもしれない息子たちに、わたしは言いたい
— コンゴの 未来は美しい。


馬鹿に刃物

「馬鹿と刃物は使いよう」なんていうポップな言い回しがあって、僕のようなうつけ者のこともうまい感じに使っていただきたいと願っているのだけども、たまに「馬鹿が刃物を手にする」というクールでもキュートでもない状況が発生してしまうという事実を忘れるわけにはいかなくて、例えば米国のパット・ロバートソンのような痴れ者がテレビというメディアを手にいれてしまったことを嘆いているのは僕一人ではないのだろうと思う。

米国でキリスト教の伝道師としてテレビ番組を持ち、政界とのつながりも強く、米国での自然災害はすべてゲイとレズビアンと民主党が引き起こしたものだと断言し、ベネズエラとの問題は政府として交渉するよりもチャベス大統領を殺っちゃえば終わると言い、イスラム教徒はナチスよりもヒトラーよりも質が悪いと言うロバートソン。彼が作ったクリスチャン・コアリションという団体は、共和党固定支持票の3分の1を占める勢力となっている。

今回のハイチでの地震についてはこう発言している。

ずっと昔にあることがハイチで起こったんだ。人はあまりその話をしたがらないのだけども。ハイチの人たちはフランス人に統治されていたんだ。ナポレオン3世だかなんだかっていう人に。それでみんなで悪魔に「もしもフランスから解放してくれたら、あなたのために仕える」って言ったんだ。本当の話なんだ。そしたら悪魔は「いいよ。約束だ」って。その後ハイチで反乱が起こってフランス人から自由になったんだ。なんだけどもその後は次々と呪いに見舞われ、絶望的に貧乏なんだ。(中略)彼らは神に戻ってこなければならないし、僕らはそのために祈らなければならない。僕は楽観主義者だ。この悲劇の後になにか良いことが起きるかもしれない。


ほほん。ハイチに行って祈るそうだ。祈るためのグループを送るそうだ。そりゃ、祈るのはいいよ。どんどん祈ればいい。でも祈るためにこの人は募金を集めるんだ。そして祈るためのグループをハイチに送る根拠が、ハイチの独立の際に起こった「本当の話」。中南米のほとんどの国がハイチに続いて独立したけども(ハイチはラテンアメリカ初の国家)、どうして悪魔はハイチとだけ契約をして呪い続けるのだろう?どこからそんな発想が湧いてきたのだろう?

奴隷の反乱による世界初の黒人共和制国家だからか?

このアホみたいな放送のあと、沢山の人が彼に募金を託した。ハイチへの物的支援のためじゃない。彼とそのグループが満足に祈りに行ってこられるためだ。

金は集まる。
馬鹿は大量の刃物を手に入れた。


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