遅々としながらも前進

18.08.2017

午前、曲作り。息子と散策。

午、鰻丼。

午後、友人各位訪問。グローサリーショッピング。スパゲティミートソース作成。書見。

Never discourage anyone who continually makes progress, no matter how slow.

– Plato

弛むことなく前進している人に、決して水を指してはならない。その前進がどんなにゆっくりとしたものであろうとも。

– プラトン


今書いている曲を終わらせたら、自宅の仕事場を片付けようと思っているのだけども、曲がなかなか書き終わらない。

そんなこともすべて受け入れる。

この季節には珍しく、夜更けにまとまった雨が降った。少しは土埃が落ち着くかもしれない。


饂飩の真実

17.08.2017

午前、揚げパン。事務作業。曲作り。

午、照り焼き鶏丼。

午後、仮眠。みぞれ肉饂飩作成。書見。

Today, people struggle to find what’s real. Everything has become so synthetic that a lot of people, all they want is to grasp onto hope.

– Bob Marley

最近、人々は本当のものを見つけようと苦労している。みんなが希望を捕まえようとするものだから、すべてが偽りのものとなっていった。

– ボブ・マーリィ


古代の人々が都市を作り上げた時、鞍型臼で穀物を製粉していた。パンや麺を作るほどの量を挽くのは大変な労働なのだったのだろうと、エジプトの方角を向いて頭を垂れる。程なくして回転式のひき臼が考案され、牛や馬、川や風の力に役割が移行したようで良かったけども。

中南米では、たいてい各家庭にひとつ小さな鞍型臼がある。香辛料やちょっとした薬草を潰すのに丁度よい。

日本でも縄文時代に石皿・磨石を用いて植物や堅果を粉砕していたようだけども、弥生時代に米や大麦を粒食するようになり、石皿・磨石は消滅した。長い時間を経て、小麦粉が渡来し、饂飩の製法が中国より伝えられた。

僕は自動車がない世界を想像することは出来るけども、饂飩がない世界はうまく想像できない。古代の人々はじっと饂飩の到来を待ち望んでいたのだろう。四国や紀伊半島の方角を見つめて頭を垂れる。

蕎麦の場合は「あれをしてはいけない、これをしなければならない」などというガッチガチのルールが存在するけども、饂飩の場合はそれがない。元来ハレの日に食べていたようだけども、最近では病床にも出てくるし、炸醤やカルボナーラなど舶来のソースにも懐深く対応する。(カレーうどんのように、どう頑張っても服が汚れるメニューまである)

こんなに良いやつなのに、普段は「時間がないから饂飩でいいか」などと扱ってきたことを反省しながら、みぞれ肉饂飩を作っていた。

今夜も猿が饂飩を抱いて、ピレネー山脈を疾走する。


弦のシンクロニシティ

16.08.2017

午前、PC修理。企画会議多々。

午、握り飯、春菊饂飩。

午後、息子と市場散策。事務作業。大根の鼈甲煮作成。書見。

Logic! Good gracious! What rubbish!

– E. M. Forster

論理!しょーもな!あんなん屑や!

– E・M・フォースター


スペインからボリビアに持ち込まれたビウエラを起源とするチャランゴ。アフリカ大陸の北西沖にあるポルトガル領のマデイラ諸島からハワイに持ち込まれたブラギーニャから発展したウクレレ。

現在、オリジナルのビウエラは世界に2つしか現存していない。ひとつはフランスの博物館に、もうひとつはエクアドルの教会に。その形状が違うので、その当時どのようなものであったのかは、あまりわかっていない。ギターの起源であり、バイオリンの起源でもある。

ブラギーニャは紀元前6世紀に現在のポルトガル及びスペイン西武にやって来たルシタニア人によって作られた。ウクレレの先祖がブラジルから持ち込まれたカバキーニャだという説もあるけれど、その起源もブラギーニャだ。

その起源は全く別の物なのに、ウクレレとチャランゴはその特殊な調弦が酷似している。

ウクレレ:G-C-E-A
チャランゴ:G-C-E-A-E

そしてどちらも手前から高音になっていくのではなく、それぞれの方法で一度低いオクターブに折り返し戻ってきている。

百匹目の猿現象は嘘だけども、これは何故なのか?

(弦の制作環境かな・・・)


これからの展望

15.08.2017

午前、事務作業。曲作り。

午、野菜炒め定食。

午後、仮眠。焼き飯作成。息子と遊戯。書見。

La filosofia è scritta in questo grandissimo libro, che continuamente ci sta aperto innanzi agli occhi (io dico l’Universo), ma non si può intendere, se prima non il sapere a intender la lingua, e conoscer i caratteri ne quali è scritto. Egli è scritto in lingua matematica, e i caratteri son triangoli, cerchi ed altre figure geometriche, senza i quali mezzi è impossibile intenderne umanamente parola; senza questi è un aggirarsi vanamente per un oscuro labirinto.

– Galileo Galilei

哲学が(つまり宇宙が)その分厚い本の中に書かれていて、僕らの目の前に開かれている。でも、まずはそこで使われている言語を学び、記号をを理解しなければ、その内容を理解することはできない。この本は数学的言語でかかれている。そしてその記号は三角形、円、そしてその他の幾何学図形。これらがなかったら、宇宙について一言も理解することは不可能なんだ。これらがなかったら、人は暗い迷路をただ彷徨うばかり。

– ガリレオ・ガリレイ


イデア論的な世界では、点は面積を持たず、線は太さを持たない。人間が作ることはできないし、理論的には存在していても認識することはできない。夜空の大三角形のようなものだ。それは美しいし、美のイデアに置き換えることは出来るだろうけども、芸術的な美とはまた違うのだろうと思う。

マッサージパーラーやヨガ教室、プラネタリウムの虚ろな音楽のように。

ガリレオの父親は作曲家で、平均律を推奨し、掛留音による一時的な不協和音を問題ないものとし、振動数の比率が弦の張力の平方根に比例することを発見した。音楽の美のイデアと音響科学、そして音楽的文脈というものが混在することを許したんだ。

テクノロジーが発達した21世紀においては、このようなことを一人で行うのは無理だろう。然らば、他のジャンルの違ったイデアを持った人たちと、共同で歩いて行くのが妥当なのかもしれない。


完成しない円環

14.08.2017

午前、事務作業。書見。

午、ハンバーガー。

午後、仰臥。アルボンディガのスープ作成。書見。

When a lot of remedies are suggested for a disease, that means it can’t be cured.

– Anton Chekhov

一つの病に対して多数の治療法が提案されている時、それはつまり、治す手立てがないということだ。

– アントン・チェーホフ


同じ所作を毎日繰り返すことによって、昨日の自分と心身の状態が違うことを知る。周りの風景も状況も変化している。借金は減っていなくても、所持金が減っているから、どこかの誰かの財布の中身は増えているわけで、確実に違う1日だ。

己事究明。

ネイ・ロサウロからメッセージが来て「君はサンバの歌詞のようなことを書く」と言われた。確かに各国の政治的リーダーの言葉には、サンバも和歌もカンツォーネもない。

想い出だけが変化を止めて色褪せていく。