かまぼこになりたい

クライスラーが、その教壇の高いところに出る先生の入り口から、つかつかっと来て、みんなにちょっと頭を下げたと思ったら、あごにこうやって「シイ~」って。その最初の「シイ~」っていう音が、どんな荒れ狂う波もすうっと静かになるような音だった。その最初の音は何とも形容できないの。それで、私は、この音を聞いたら、怒涛の波も静かになるだろうと思った。それから後もみんなよかったけど、最初の・・・。
(中略)
エルマンも帝劇に来てやりましたが、タコみたいな赤い坊主のおじいさんでね、ヴァイオリンの向こうで踊っているみたいなの。踊りながら弾いていて、派手でうまくはあるけども、なんだか曲芸みたいでさ。
ハイフェットっていう人も日本に来てやったけど、ハイフェットはエルマンよりはよかった。クライスラーに近かったけど、もうクライスラーの最初の出の音だけは忘れられないの。
- 森茉莉


音楽に似た衣装をまとった騒音が街を覆いつくし、強さと深さを装い希望と共感を喚起する音楽が消費されるこの時代に、何とも形容できない音なんて求められていないのかもしれない。近くで静かになっている風鈴と、遠くから聞こえてくるお祭りの音量が逆転して聞こえるとき、言語化を必要とせずただ心にしみてくる音のハーモニーを感じる歳に僕もなってきて、やっと森さんの言う「天地の間の自然の音」という感じがわかってきて、楽器から引き出そうと努力するようになった。

先日池之端の藪蕎麦で食べた巣篭もりの中に入っていたかまぼこの切れ端のあまりのおいしさに「はっ」となったが、そのとき僕は蕎麦のように主役でなくていいからかまぼこになりたいと思った。あなたは貝になりたいのかもしれないけども、私はかまぼこになりたい。名声はいらないから印象を残したい。

死ぬ直前でかまわないから。

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