宗教のモラル

「ごちゃごちゃ言わないで、早く曲を書きやがれ」という励ましの言葉を毎日もらいながら、呆然とした感覚で毎日を過ごしている。そうなると食事の時間もまともに取れなくなるわけで、自宅兼仕事場から最短距離にある「味軒」の美味しいけども量が多すぎると問題を、「半チャーハン」という注文方法によって見事に問題解決しながら、宮沢賢治の言葉について考えていた。

そこでまことにぶしつけながら、わたくしの敬愛するパトロン諸氏は、手紙や雑誌をお送りくだされたり、何かにいろいろお書きくださることは、気取ったやうではありますが、何とか願ひ下げたいと存じます。
わたくしはどこまでも孤独を愛し、熱く湿った感情を嫌ひますので、もし万一にも、わたくしにもつと仕事を御期待なさるお方は、原稿の催促や、集金郵便をお差し向けになったり、わたくしを苦しませぬやうおねがひしたいと存じます。


僕が創作に関わり続けている理由が自分の持っている傾向に対する諦観だとすれば、それをうまく飲み込むためにもっとも有効なのは宗教的な世界観だと思う。特に仏教的な・・・。しかし僕は仏教的な諦念は持ち合わせていない。持ってみないでもないことはないけども、神道と仏教を中心に持ったモラルを所持しているかのような日本社会は、実は景教と儒教によりそのモラルを保っていて、最終的にどちらにしても辛い領域に入らざるを得ないことになるような気がしている。(そこに少しの仏教的な要素とマルクスを混ぜ合わせたのが創価学会の人間革命だ。)

本来、仏教は青年向けではない。
キリスト教と儒教は知的な諦念を無理強いする。
仏教と神道はエゴ的諦念を要求する。

まあ、どちらも僕にはもう少し先の話のようだ・・・。

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