音楽と時間の効用

06.09.2019

午前、プログラム委員会。企画会議。

午、ヴルストスープ、山羊肉のシチュー。

午後、曲作り。アンチョヴィのピッツァ。原稿。書見。

I may not have gone where I intended to go, but I think I have ended up where I intended to be.

– Douglas Adams

行こうと思ったところには行かなかったかもしれない。でも、いようと思ったところには辿り着いたと思う。

– ダグラス・アダムズ

子供の頃、限られたお金をポケットに入れ、レコード屋に入って山のような30センチ四方のジャケットをパタパタとやりながら、一枚選び取るのが至福の時間だった。フーベルマンやグールドとはそうやって出会った。割れないように気をつけながら自転車を漕ぎ帰宅し、ターンテーブルに乗せてから、流れてくる音楽に驚きながら居間に立ち竦む時間も、何ごととも交換不能な幸せなひとときだった。

CDはそうでもなかったけども、僕の年齢的な問題と、経済的な状況が理由だったのかもしれない。

今はPCでクリックすれば聴きたい音楽が流れてくるし、気に食わなければ停止すればよいだけだから、そういう時間はもう戻ってこない。それでも当時買ったフーベルマンやグールドの音楽を聴いていると、かつての幸せの感覚で心は満たされる。

僕が死んだ後に僕の音楽がどうなろうと知った話ではないけども、それを聴いて幸せだった気分を思い出してくれる人がいたら、嬉しいなと思う。少しだけ。

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