少なくとも僕にとっては


02.12.2018




午前、楽器練習。




午、巻鮨。




午後、子どもたちと散策、グローサリーショッピング。映画鑑賞。餃子丼。書見。




You say to a brick, ‘What do you want, brick?’ And brick says to you, ‘I like an arch.’ And you say to brick, ‘Look, I want one, too, but arches are expensive and I can use a concrete lintel.’ And then you say: ‘What do you think of that, brick?’ Brick says: ‘I like an arch.’


– Louis Kahn


煉瓦に尋ねる。「煉瓦君、何になりたい?」すると煉瓦が答える。「アーチ橋が良いな」それで君は答える。「あのさ、僕もそれが良いよ。でもアーチ橋は高価だし、それにコンクリートのまぐさを使うこともできる」君は続ける。「どう思う、煉瓦君?」煉瓦は言う。「アーチ橋が良いな」


– ルイス・I・カーン




音楽というものは文字通りの意味としても、メタファーとしても、その存在を掴まえることができない。英語や西語でいう”intangible”な存在だ。




少なくとも僕にとっては。




良い(あるいは良くない)音楽作品は存在する。同様に良い(あるいは良くない)音楽家も、音楽活動も、音楽教師も、音楽関係の批評家も、個人的なものさしを使えば判断することができる。でも「良い(あるいは良くない)音楽」となると、それが何を指すのか分からなくなってしまう。建築物に対する建築の存在、あるいは念仏に対する仏の存在のようなものだ。




少なくとも僕にとっては。




未だにその存在がよく分からないものの、良い音楽作品を作ろうとする時、良い音楽家であろうとする時、良い音楽教師であろうとする時、その方向が必ずしも音楽を向いていないことは感じる。そこに他人が介入するからかもしれない。自分のエゴが音楽よりも”tangible”な形で生まれるからかもしれない。だから「自分の音楽」などというものを理解することは不可能なこととなってしまう。





少なくとも僕にとっては。

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