伯牙絶弦

06.06.2019

午前、曲作り。

午、海老のスープ、牛ミノのシチュー。

午後、曲作り。原稿。左宗棠鶏。書見。

Perhaps the mission of an artist is to interpret beauty to people – the beauty within themselves.

– Langston Hughes

おそらくアーティストの役目は、人々に美を解き明かすことなんだろう。人々の内にある美を。

– ラングストン・ヒューズ

interpretation という単語には現在では翻訳・通訳・解釈・解明・演奏・演技などの意味があって、要するに本人にとってであろうが他人に対してであろうが物事をわかりやすい形にするということだ。音楽の場合、基本的には題名や楽譜が示唆するものを、耳に聞こえる状態することを指すことが多いのだけども、そこに個人的な解釈を加えることに重点を置く人達もいる。

語源的には「間に入ってその価値を説明する」といった意味なのだけども、作品を鑑賞する人の理解だって interpretation に当たる。

親友や恋人のことを知音ということがある。中国の春秋時代の琴の名人、伯牙が琴を演奏して鍾子期がそれを聴くという友情の形のことだ。琴を弾いてる伯牙の気持ちが太山にある時は、鍾子期は「いいねえ、君の演奏は。高く険しい太山のようだ」と言う。演奏の気持ちが流水にある場合は「素晴らしいね、勢いよく流れる流水のようだ」と言う。そんな鍾子期が死ぬと、伯牙は琴を壊し弦を切り、二度と演奏しなかった。

伯牙絶弦として知られた話だ。

曲が作られ、演奏され、鑑賞される。すべては知的行為であるのだけども、鑑賞という行為のみに自分独自の解釈を仲介することが許されているような気がする。

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