全ては円く回る

14.10.2018


午前、スコア勉強。事務作業。


午、酸辣湯。


午後、息子と散策。仰臥。チキンクリームパスタ作成。書見。


Everything the Power of the World does is done in a circle. The sky is round, and I have heard that the earth is round like a ball, and so are all the stars. The wind, in its greatest power whirls. Birds make their nest in circles, for theirs is the same religion as ours. The sun comes forth and goes down again in a circle. The moon does the same and both are round. Even the seasons form a great circle in their changing, and always come back again to where they were. The life of a man is a circle from childhood to childhood, and so it is in everything where power moves. Our tepees were round like the nests of birds, and these were always set in a circle, the nation’s hoop.


– Black Elk


「世の力」によって成される全てのものは、円状に成される。空は円く、地球や星々も球のように丸いと聞いている。風が一番の力を持つ時、それは渦を巻く。鳥は丸い巣をを作り、だから僕等と同じものを信じていると言える。太陽は円を描いてやってきては沈んでいく。月もそうだし、どちらも丸い。季節だってその移り変わりは大きな周期となっていて、元に戻ってくる。人間の人生は子供時代から子供時代への周期であって、だから力が動く全ての中にそれはある。僕等のテント状の住居も鳥の巣のように丸かった。そしてそれらは円状に、部族の輪を作るように配置されていたんだ。


–  ブラック・エルク


子供は受け取ったメッセージを都合よく脱構築することも、一部を切り取って拡大することもなく受け入れて自分の中に貯蔵するようだ。僕が子供だった頃、ラジオやテレビで「三時のおやつは文明堂」と言われたら、現実にはカステラなど年に数回しか見ることがなくても「わかった、把握した」とその情報を胸に秘めたし、「アニメから飛び出したタイガーマスク」と言われれば、次元を飛び越えるには尋常ならない努力があったのだろうと心の奥で称賛した。


僕の息子などはYouTuberなどから同じような影響を受けている。生物学的には父親な僕が何を言っても「父ちゃんのビデオの再生回数は?フォロワーの数は?」と訊かれると、多勢に無勢というか孤軍奮闘というか、戦いが成り立たない状況に追い込まれる。


自然な成り立ちで良いことなんだと思う。


大人になって、曇った眼鏡越しに都合のいい言葉だけを選んで都合よく解釈してヘラヘラを笑っているよりは、ずっと。


増えた時間

13.10.2018


午前、楽器指導。


午、納豆巻き。


午後、仰臥。書見。


バルザックは毎日十八時間小説を書いた。本当は小説というものはそういうふうにしてかくものである。詩のようにぼんやりインスピレーションのくるのを待っているものではない。


このコツコツとたゆみない努力の出来る事が小説家としての第一条件であり、この努力の必要な事に於ては芸術家も実業家も政治家もかわりないと思う。なまけものはどこに行っても駄目なのである。


ある画家から聞いた話だがフランスに行って絵描きが何を学んでくるかというと、毎朝必ずキャンバスの前にきちんと坐って仕事を始める習慣だそうである。


この単なる習慣が日本に帰って来てから非常な進歩のもとになるということは日本人のなまけもの気質と考え合わせて面白い事であると思う。


– 三島由紀夫


朝起きてからしばらくは選択肢がないほうがいい。別段「絶対に85度の湯で淹れた コピ・ルアクで珈琲」と決めることもないけども、朝食の場合、限定された選択肢の材料を常に用意しておく、あるいは必ず同じ茶餐庁やホテルに出かけると時間を無駄にすることも、がっかりすることもなくなる。日によって量や内容が違うメール、SNSの通知などにも目をやらない。時折、午前中の予定に関する連絡をこのようなツールを使って夜中に行う不届き者がいるけども、僕の場合、残念ながらそんなもの目に入らないことを周知しておく。


そうやって、毎朝同じ時間にルーティンをこなし、音楽作りを始める。経験上6時間が経過すると箸にも棒にもかからないものを作り始めるから、日の残りは適当に過ごす。


その6時間も、最近半分に減らした。


世の中うまくできていて、仕事を半分にすれば収入も半分になり、増えた自由時間で豪遊するわけにはいかないし、クラシックカーの収集に情熱をかけるわけにも行かない。


せいぜい料理に時間をかけるようになるだけ。皮肉なことに、体調不良が続いていて、食欲はまったくない。


諦念と葛藤

12.10.2018


午前、レコーディング監督。


午、炒麺。


午後、楽器指導。事務作業。書見。


Learn from your dreams what you lack.


– W. H. Auden


自分の夢から、自身に足りないものを知るんだ。


–  W・H・オーデン


様々な作曲家が、直接的あるいは間接的なやり方でバッハを取り上げる。まるで夢を見るかのように。水平方向に伸ばす梯子を手に入れようとするかのように。


僕等に何が欠けているのか、それは分からない。


音楽において直結された諦念と葛藤かもしれない。


100年前の耳

11.10.2018


午前、レコーディング監督。曲作り。


午後、仰臥。豚キムチ丼作成。書見。


Sometimes we are lucky enough to know that our lives have been changed, to discard the old, embrace the new, and turn headlong down an immutable course.


– Jacques-Yves Cousteau


時に僕等は生活が変わったことを運良く知ることとなる。旧きを捨て、新しきを受け入れ、変更不能な道をまっしぐらに行くこととなる。


–  ジャック=イヴ・クストー


ストラヴィンスキーが書いたバレエ「春の祭典」を始めてテレビで観た時のことは覚えている。子どもながらに、踊りと音楽が珍しく融合していることに驚き感心した。音楽自体を斬新には感じることはなかったけども、それは仕方がない。作られてから半世紀以上も経っていたのだから。それでも、 1913年の時点の観衆の耳には非常に独創的に聞こえたであろうことは、音楽史を少し知った今では想像に難くない。


ある意味その音響は20世紀の来るべき音響を決定づけたものの、それをヴァージョンアップさせていったのは他の作曲家たちであって、彼自身は別の道を進むこととなる。


独りの人間が何か使命感のようなものを抱えて加算的に似たようなものを作り続けるのは、難しいと同時にあまり意味がないことなのかもしれない。(ストラヴィンスキーの場合は、いささか事情が違っていたのだろうけども)


そんな事を考えながら、未だに僕も春の祭典をたまに聞いてパチパチと手を叩いている。


架空の蟻の巣

10.10.2018


午前、曲作り。楽器練習。リハーサル指揮。


午、饂飩。


午後、仰臥。書見。


You know, as you compose music, you’re just off in your own world. You have no idea where reality is, so to have an idea of what people think is pretty hard.


– Roy Lichtenstein


音楽を作っている時は、自分だけの世界の中でちょっとおかしくなっているんだ。それがどこなのか見当もつかない。だから、他の人がそのアイディアについてどう思うか、なんて想像するのは非常に難しい。


–  ロイ・リキテンスタイン


自分の頭の中では空間的、時間的に、大した理由も脈絡もなく自由に動けるけども、同時に非常に素材が限定されているから、逡巡さえしなければ楽に入って楽に出てこられる。そこは架空の蟻の巣のようなもので、行った先には思ったものがあるのだけども、それを人に伝えるのは難しい。


昨日の続きや明日の準備のような様相が見えてきたら、さっさと逃げ出す。


エゴに騙されることがないように。