星を見て、漕ぐ手を止めず

24.04.2018

午前、リハーサル。曲作り。ミーティング各種。

午、羊もつ煮。

午後、事務作業。曲作り。DIYサンドウィッチ大会。子どもたちと音楽鑑賞。書見。

How people treat you is their karma; how you react is yours.

– Wayne Dyer

他人の君に対する扱いは彼ら自身のカルマとなり、それをどう受け止めるかが君のカルマとなるんだ。

– ウエイン・ダイアー


潮は満ちた。舵を取る。


23.04.2018

午前、曲作り。

午、雲呑湯。

午後、曲作り。楽器練習。鶏とキノコのクリームパスタ作成。書見。

I only ask to be free. The butterflies are free.

– Charles Dickens

ただ自由でありたい。蝶は自由だ。

– チャールズ・ディケンズ


突発的な、あるいは祝祭的な、あるいは非日常的な数日を過ごしても、特に深い理由もなく同じような生活に戻ってしまう。曲を書き、楽器を弾いて、指揮棒を上げ下げ。職業的な技術だけが確立され、安心と安定が一抹の不安の材料となってくる。

そんなことを1500年以上も繰り返している嵩山少林寺は立派だけども、一人の短い人生においては無常に越したことはない。

まず道具を変えようと思い立った。


その場その地での学び

22.04.2018

午前、楽器指導。楽器練習。

午、焼き饂飩。

午後、子どもたちと散策、グローサリーショッピング。技術会議。おにぎりセット作成。書見。

驥を学ぶは驥の類ひ、舜を学ぶは舜の徒なり。偽りても賢を学ばんを、賢といふべし。

– 吉田兼好


上方の料理は味が薄く、関東の料理は味が濃いなどと言われているけども、江戸時代にあっては上方においても、身体を普段から動かす町人のための、味が濃い料理が盛んであったそうだ。塩分補給のためなのか、穀物摂取のためなのかは知らない。

精をつけるには自然薯、あるいは古来それが変じた思われていた鰻。

味が薄ければ素材の持ち味が全面に出るという考え方もわからないでもないけど、なにも高級料理だけがすべてではあるまい。何処かで読んだことを真に受けて、先入観を持たないほうがいい。

他国の料理の味に難癖をつけるなど、向上心のない証拠でもってのほかだ。


天井睨み

21.04.2018

午前、楽器指導。楽器練習。スコア勉強。

午後、仰臥。

Try to be like the turtle – at ease in your own shell.

– Bill Copeland

亀のようにあろう。自分の甲羅の中で、落ち着いて。

– ビル・コープランド


楽器の練習を終え、指揮のためにスコアを読んでいたら、身体の異変が電光石火のごとく訪れて、フラフラと布団に潜り込んだ。食あたりのようだけども、色々と思い当たるものを口に入れてきたので、原因は特定できない。

音楽を頭で鳴らすと、何故か身体が痛むので、諦めて天井を呆然と眺めていた。

一時的なものには違いない。


週末にはシーフード

20.04.2018

午前、曲作り。

午、シーザーサラダ。

午後、曲作り。法螺貝、動物の角、竹を巡る冒険。スパゲティ・ミートソース作成。書見。

汚れるのが厭ならば、生きることをやめなくてはならない。生きているのに汚れていないつもりならば、それは鈍感である。

– 吉行淳之介


キトの北の方面を走り回っていた。楽器制作のための材料の選定をしていたのだけども、安定性や耐久性、音質を考えて数本の竹と角を組み合わせた竹ボラにすることにした。あまり訪れたことがない地域で、道が交差する角ごとに魚や蟹、貝や海老がリヤカーに積まれて売られていた。おそらく週末に酒宴をするためのものなのだろう。標高2800mの街で、なぜこんなに海産物が運ばれる文化が定着したのかはよくわからない。海岸地方からの移住者が多かったからだろうか。

僕が住んでいるあたりは500年前にアンデス山脈を南に住んでいた人たちがインカ帝国に与えられた土地なので、市場でも海産物は少ない。子持ちの魚など(川で自分で釣った鱒を除いて)一度も見たことがない。

考えてみれば、日本の山中で修験に励むための山伏十二道具に法螺貝が含まれているのも、おかしな話だ。

物と人の交通が現在の文化を作り出したのは間違いない。伝統的な文化に固執するのはその地域の老化の始まりだ。