そこに残るもの

15.04.2019

午前、リハーサル。曲作り。

午、鶏モツスープ、炒飯。

午後、曲作り。ロールキャベツ。原稿。書見。

The way to get things done is not to mind who gets the credit for doing them.

– Benjamin Jowett

ものごとを完遂させるには、誰の手柄になるのかということを考えないことだ。

– ベンジャミン・ジョーウェット

器楽音楽がなぜ音楽的意味を待っているのかという問題は、ずいぶんと長い間議論されてきているけども、どのようにそれを僕らが認識しているのか、そもそも何を認識して、そのための最低限の理解能力や知識は何なのかというところまで含めて、未だにすっきりとした結論は出ていない。もちろん僕のような市井の音楽家にもよくわからない。

歴史的に歌や踊りから楽器に依らない部分を捨象した結果ということもできる。その場合、もとの歌や踊りに関する知識がないと、理解できない部分があるのかもしれない。コンサートなどで手にするプログラムノートや録音物のライナーノートは、こういう部分を補ってくれることも多い。

そうではなくて、世の中の何かを音によって象徴化したものであるならば、その大元にあるものを理解していないと、完全には享受できないと言う人もいるのかもしれない。

今日、パリにある西洋の文化を象徴すると考える人もいる建物が火災にあった。例えば天皇が日本国と日本国民統合の象徴であるとして、崩御しても退位しても、日本国と日本国民がなくなるわけでも変わるわけでもない。ある建物が火災にあっても文化が燃え落ちるわけではない。

それでも、このような出来事に心を痛める人が数多くいるということは、そして別の歴史的建造物が爆撃されても同じ人達が平常心を保っているのは、僕たちが限定された文化的文脈を一部の人達と共有して、その流れにある器楽音楽は理解できるという事実に繋がっているのかもしれない。

直筆譜が消えても、音楽は残る。僕らがそれを望めば。

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